Comments (15)

最後のほうで話されてた自己欺瞞の問題はこのあたりと関係してる気がします。
ただ、感性は「明晰」ではないので、論理的な誤りを犯すし、犯しても気づかない。今までの経験に基づいて、「AならばB」から「BならばA」を導くみたいなことを平気でしてしまう。
だから、感性が「なんか好き」「なんか違う」と訴えるときは、自分の一生分とかの膨大な情報量を使って弾き出した答えであるから大体の場合に妥当であると考えることもできます。
一方、感性は言語でないので、言語で表すと一生かかっても処理しきれないような情報量を並列であっさり処理できてしまう(脳の神経細胞とかは高度な並列計算をしています)。
言語は「明晰」なので、他者と共有したり、既存の考えを反省的に捉えたりできるが、「直列」なので扱える情報量に限度がある。理性の限界はこれに由来するのだというのが私の仮説です。
言語の特徴として、特に「明晰であること(真偽や相違などを検証できる)」と「直列であること(文章は必ず1文ずつ順に展開する。同時にいくつも並列できない)」が重要な気がします。
ただ、決定的な違いは、お話にもありましたが、理性は言語化でき、感性は言語化できない。だから、理性と感性の違いは「言語」の性質にかなり由来するものと考えます。
私の個人的な理解では、理性と感性はどちらも「脳で行われてる情報処理」という点で同じものだと考えてます。
就活の事情で、山陽本線から録音聴いてます。今回も面白いテーマでした
時間早くなってたんですね(*_*;
モイ!スナックぱおぱお営業中!【理性は完成に勝てるのか?】